
ながさき平和の日 1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを投下し、長崎市松山町の500メートル上空で爆発した。広島に次いで史上2番目の原子爆弾で、当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡した。また、建物は約36%が全焼または全半壊した。
この日、8月9日には長崎市松山町にある平和公園において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(長崎平和祈念式典)が行われ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。原爆が投下された午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が捧げられる。その後、長崎市長による平和宣言、平和への誓いが行われるのが通例である。